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摂津と山城の国境に位置し、大山崎の近辺に位置する山。
古来より要衝とされ、南北朝においてもこの山をめぐって激戦が繰り広げられた。しかしもっとも有名なのは1582年の天王山の合戦であろう。
1582年、本能寺で信長が死亡すると秀吉は一気に畿内に引き返した。中国大返しである。
このすばやい進軍に対し光秀は有効な手立てを打ち出せなかった。婚姻関係にあった細川は動かず、筒井も動かなかった。そのため、迎撃態勢を整えることが出来ないまま合戦へと進んだ。
そして明智勢は天王山を秀吉に取られてしまう。
いかに光秀であっても3倍もの兵数差はいかんともしがたく明智は敗北し、明智光秀の天下は夢と消えるのであった。
なお、天王山とは何か帰趨を決めることや正念場のたとえにも使われるが、これは天王山を秀吉が最初に占拠し、それを奪還しようとした争奪戦にあるとされる。しかし、この争奪戦は、山崎の合戦で天王山に陣取った中川清秀の活躍を描いた中川家記や太閤記による創作ではないかと言う説がある。
いずれにせよ、この天王山を含む大山崎での合戦が、明智と羽柴の天下分け目になったことだけは確かである。