【独眼竜の野望】
【関ヶ原の陣】
蘆名義広 †
レベル:数 †
72:5
家紋 †
蘆名
構成 †
特徴 †
- 義広流槍術
- 対象に強力な八箇必勝+物理耐性低下(25%)+自身に強力な▲付与。
- 火力が足りない、または釣り漏れると30分以内に倒しきるのが困難になる。
- 回復役がいない分全員の攻撃が非常に痛く、また12が非常に頑強。
- 義広流槍術による▲を看破できないで耐性低下を消さずに攻撃を受けるのは危険。
- 耐性低下状態は厄介なので、浄化系技能を入れておきたい。
- 4も火力が高く、激戦の謡・参や各種槌舞を使用して被害を増やしてくるので対処が必要になる。
生息地域 †
ドロップアイテム †
列伝 †
- 蘆名義広(あしな よしひろ)
- 1575-1631 佐竹義重の子。佐竹義宣の弟。伊達政宗は従兄弟にあたる。幼名は喝食丸。
1579年、白河義親の養子となる。1587年、蘆名盛隆の娘と結婚して蘆名義広と名乗り、蘆名氏二十代を継承する。
1589年、伊達政宗との摺上原の戦いで大敗し、常陸に逃れた。
関ヶ原の戦い後は父・義重、兄・義宣とともに秋田領に入り、内政面で活躍した。
- 船尾昭直(ふなおあきなお)
- 生没年不詳 岩城氏家臣。佐竹氏に仕え、南奥における佐竹氏の先鋒として活動した。
義広が白河結城氏に入嗣する際にはその補佐に当たった。
- 金上盛備(かながみ もりはる)
- 1527-1589 蘆名家臣。卓越した政治手腕から「蘆名の執権」と呼ばれた。
1586年、蘆名亀王丸の死去に伴い、盛備は佐竹氏から結城義広を迎える案を強行。
しかし、譜代の蘆名家臣団と旧佐竹家臣団との間に亀裂が生じ、蘆名氏の弱体化を招いてしまう。
1589年、摺上原の戦いで片倉景綱隊に突撃し戦死した。
- 平田範重(ひらたのりしげ)
- 生没年不詳 慶徳範重。蘆名家臣。
1585年、伊達家臣の原田宗時の侵攻を撃退している。
- 富田氏実(とみた うじざね)
- 生没年不詳 蘆名家臣。
亀王丸死後の継嗣問題では伊達小次郎(政宗の弟)を推すが、佐竹義広の入嗣となった。
直江兼続や石田三成と書状のやりとりをしており、外交面でも活躍している。
その他情報 †