SPAM_FILTER_作動中
[[駿河武将一覧]]
*&ruby(ウドノ ナガテル){鵜殿長照}; [#ce8e9208]
**レベル:数 [#n7c57477]
60:7
**職業 [#a6013f54]
神主
**防衛陣 [#s71e0cbf]
小荷駄隊
**戦闘開始時セリフ [#d4c9b79c]
私の母は我が殿の御妹君、
私は今川家の一門に連なる身だ!
負けられぬ!
○○○○?
はっはっは! 雑兵の名前
など覚えておれぬわ!
○○○○か。こりぬ奴。
その方の相手をするのも
もう飽きたわ!
**構成 [#h9dd2c39]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|鵜殿長照|弓神主|60|&color(gray){▲}; |[[雅な唄]]、[[霧散霧消]]、[[点破・弐]]、[[神代の風・弐]]|
|今川武者|薙刀侍|55||[[天地二段・改]]、[[八箇必勝]]、[[一所懸命・極]]、守護術|
|善徳寺僧|棍棒僧|55|結界|[[金剛力]]、[[僧兵連撃・改]]、[[業火法輪・弐]]、[[氷華法輪・弐]]、[[八葉の蓮華]]、[[羅漢の唱]]|
|駿河山伏|槍薬師|55|再生|[[鬼哭啾啾]]、[[禍因の風]]、[[災禍の雷]]、[[完全治癒]]、[[歴戦の治癒]]、[[蛇紋孔・弐]]、[[裏鬼門]]|
|駿河侠骨者|刀傾奇|55||[[喧嘩斬り]]、[[○龍閃・極]]、[[迦具土の舞]]、[[追風の謡・参]]、[[火祭の舞・参]]、[[鬼の化粧]]|
|駿府繁忙鍛冶|鉄砲鍛冶|55|||
|駿府蹴鞠隊|錫杖陰陽|55|結界||
**ドロップアイテム [#g59f3b06]
-[[鵜殿の神聖鎧]]
-[[千年樹の神弓]]
**備考 [#hdd510b0]
-天下夢幻変更済み
-撃破で四天王弱体
**列伝 [#dcd0fbfd]
蔵太郎。藤太郎とも伝わる。[[鵜殿長持]]の子。生年は不明。信長の野望では1533年としているが確証は皆無な上、これでは年齢的に少々無理が生じる(彼には子が二人おり、どちらも人質として扱える年齢であったとなれば、この年齢では無理が生じるのである)。~
母は[[今川義元]]の妹にあたる人物である。~
~
父から引き継いで西郡上ノ郷(神ノ郷、上郷とも。別名鵜殿城、宇土城ともある)城主であったが、父の経歴がいまひとつ不明なため城主であったかは疑問が残る上に確証がいまひとつない(そもそも長照自体が謎の多い人物である)。~
[[今川義元]]が上洛するさいは[[尾張]]大高城を落とす戦功を上げる。その後同城を守っていたが、[[桶狭間]]で義元が死亡してしまったために撤退した。~
~
1560年に[[家康>徳川家康]]が[[今川>今川家]]氏が放棄した[[岡崎城>岡崎]]にはいり、実質的に今川に対して反旗を翻すと[[三河]]の今川勢力は大きく後退、多くの勢力は[[徳川>徳川家]]についた。~
しかし、彼は今川を継いだ[[今川氏真]]とは従兄弟の関係であったため、今川に属していた。そのため異父兄弟であった松平清善と、その後ろ盾であった家康と対立する。~
余談ではあるが家康の居城である岡崎と彼の居城である上ノ郷は、岡崎からみてちょうど真南にあり、30km程度しか離れていない。そのため、家康にとってもこの地に今川勢がいるのはよろしいことではなかったことは、想像に難くない。~
しかし本家であった長照ら以外の鵜殿氏はほとんどが傍観を決め込み、一族からも孤立してしまう。~
~
1562年には家康が今川と断交。これによって鵜殿は対徳川の最前線となり、居城に籠もり家康と戦った。~
最初鵜殿勢は堅牢であった城を盾によく守ったが、家康は忍者を投入し城に火を放った。これによって上ノ郷は落城し、長照は討ち死にする。~
しかし、一説では長照はつかまり、人質となっていた家康の妻と子供に対する交換条件として今川に引き渡されたとも言われており、定かではない。~
また、このときの交換要員となったのは長照の子である氏長と氏次とも言われており定かではない。実際のところこちら2人が有力であると考えられており、長照は討ち死にしたと見られる。~
~
どちらにせよ、この鵜殿を質とすることで、家康が家族を取り戻し、今川の優位性を一気に突き崩したことは事実である。
**その他情報 [#aa0e0fde]
- 雅な唄使用 敵徒党員瀕死狀態 使用頻率高 -- &new{2008-10-27 (月) 23:49:30};
- 開幕から子守唄や雅の唄など使用します。不変維持して戦えば、安定して戦えます。 -- &new{2009-08-16 (日) 01:29:00};
- 鵜殿長照側近の子孫が通ります。 -- [[ak]] &new{2014-08-21 (木) 19:56:12};
#comment