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[[クエスト]]~ *上級者クエスト [#ab050e32] -条件 +アカウントが[[争覇の章]]以降であること +レベルが50以上であること -[[右京>京都]]の楠木正虎と会話することでクエスト開始。「[[剣聖信綱編]]」「[[不老秘薬編]]」のいずれかの依頼を選べる -両方を同時に引き受けることはできない。 --引き受けている依頼の中断か達成によって、もう一方の依頼を引き受けることができる。 --上級者クエストは、1キャラクターにつき1回しか達成できない。 ---解り易く言い直すと「[[剣聖信綱編]]」と「[[不老秘薬編]]」をそれぞれ1回クリアすることができる。~ 片方達成後の再度開始の場合、未クリアの方を開始することができる。~ この際、既に片方は達成済なので、当然途中変更はできない。~ -支援可能対象の敵を倒すと自分以外の徒党員全員にその場では熟練を獲得できる。さらに、楠木正虎に手伝い報告することにより[[びっくり上級染料]]と[[多彩入魂石]]を得られる場合がある(依頼欄に追加される)。 --例として、7人全員対象者であった場合は1戦で6人分手伝ったことになり、支援報酬も6回分得られる -クリアするためには[[侵攻型ダンジョン]]の[[扶桑の森]]に入場する必要がある。該当クエスト時に各自行けるようにしておく必要がある、手伝いも同様である。 -一度依頼をキャンセルし、再度受け直した場合は、前回報酬を貰った直後まで巻き戻る。 --再度クエストを進めると、同じアイテムを2個入手することができるが、使用できるのは後で手に入れた方だけ。 *クエスト詳細 [#ab050e32] -[[剣聖信綱編]] ~“剣聖”信綱こと[[上泉信綱]]は上野国の生まれ。[[長野業正]]、[[長野業盛]]親子に仕えた武将で、剣の腕に優れ、剣術“新陰流”の開祖とされる人物です。その信綱から京に住む山科言継に、一通の文が届くところから物語が始まります。~ 「武の頂点についてどう考えるか」~ 文には一言そう書いてありました。~ 文人である山科はその問いに答えられるはずもなく、悶々とした日々を過ごします。そこへ、楠木正虎に紹介される形でプレイヤーの皆さんが訪れる、というわけです。~ 山科はプレイヤーの皆さんの訪問をたいそう喜び、「あなたなら、きっと信綱殿の問いの答えがわかるでしょう」と武人の名が記された信綱から届いた文を手渡してくれます。 -[[不老秘薬編]] ~古今東西、数多の人々が追い求め、いまだ手にすることのできない“不老不死”の秘密。その禁断の秘密に迫った、とある秘薬を巡る物語です。 **解説 [#s77d8df3] **解説 [#kaisetsu] :楠木正虎(くすのき まさとら)|1520-1596 。[[足利義輝]]、[[松永久秀]]、[[織田信長]]、[[豊臣秀吉>羽柴秀吉]]に仕えた人物。楠木正成の子孫と称した。世尊寺流の当代一流の書家であり、右筆を担当した。 :山科言継(やましな ときつぐ)|1507-1579。戦国時代の公家。[[言継卿記>言継卿記写し]]の著者としても知られる。~ 朝廷の財政の建て直しを図り、各地を奔走。その過程で織田信秀・[[平手政秀]]、義理の叔母にあたる寿桂尼・[[今川義元]]、[[北畠具教]]・[[具房>北畠具房]]、[[織田信長]]・[[徳川家康]]ら多くの大名と交流をもった。~ 信長上洛時には朝廷との橋渡しとして活躍した。 :富田勢源(とだ せいげん)|1523-没年不詳。中条流の剣豪。朝倉氏に仕えた。~ [[富田重政]]は義理の甥に、富田景政は弟にあたる。弟子に鐘捲自斎らがいる。 :曲直瀬道三(まなせ どうさん)|1507-1594。戦国時代の医師。日本医学中興の祖として田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される。著書は[[啓迪集]]など多数。~ [[足利義輝]]、[[細川晴元]]、[[三好長慶]]、[[松永久秀]]、毛利元就、[[織田信長]]など多くの武将を診察した。 :鐘捲自斎(かねまき じざい)|生没年不詳。鐘捲流剣術の祖。富田景政の高弟。弟子には[[伊東一刀斎]]の他、佐々木小次郎がいるとされる。 :松寿丸|1552-1611。稲富祐直の幼名。戦国時代から江戸時代初期の砲術家。[[稲富祐秀]]の孫。稲富流砲術の開祖。~ はじめ、一色氏に仕え、一色氏滅亡後は[[細川忠興]]に仕えた。関ヶ原後は松平忠吉や徳川義直に仕えたという。~ 弟子には[[井伊直政]]や浅野幸長などがいる。 :施薬院 全宗(やくいん ぜんそう)|1526-1599 戦国時代から安土桃山時代にかけての医者。~ :橘屋又三郎| :八板金兵衛| :篠川小四郎| :田布施忠宗| :杉之坊照算| :草深甚四郎| :師岡一羽| :施薬院全宗(やくいん ぜんそう)|1526-1599 戦国時代から安土桃山時代にかけての医者。~ もとは[[比叡山]]の住持であったが、[[織田信長]]による比叡山焼き討ちの後、還俗。曲直瀬道三に入門し、漢方医学を極める。~ 後、豊臣秀吉の侍医となる。側近としても活躍し、伊達政宗や[[佐竹義重]]との交渉役などを務めた。 :橋本一巴(はしもと いっぱ)|生没年不詳 戦国時代の武将。[[織田信長]]の鉄砲の師匠。 :快川紹喜(かいせん じょうき)|生年不詳-1582 臨済宗の僧。~ 美濃出身。1564年 [[武田信玄]]に招かれて恵林寺に入寺、外交僧としても活躍する。~ [[織田信長]]により武田氏が滅亡すると、[[六角義治]]らをかくまい、引渡しを拒否したことから焼討ちにあい、焼死を遂げた。このとき残したとされる「安禅必ずしも山水を用いず、[[心頭滅却]]すれば火も亦た涼し」は有名。~ また、[[明智光秀]]とは同じ土岐氏であったと見られ、その死が本能寺の変に影響したとする見方もある。~ 弟子には伊達政宗の教育の師である[[虎哉宗乙>松島]]がいる。 :永田徳本| :武田信虎| :永田徳本(ながた とくほん)|1513-1630 戦国時代から江戸時代にかけての医師。~ 武田信虎・[[信玄>武田信玄]]の侍医。武田家滅亡後は諸国を巡り、貧しい人々に無料で薬を与えたり、安価で診療を行ったとされる。どんな治療を行っても報酬として16文以上の金額を受け取らなかったとする伝承や甲斐における葡萄栽培法の改良を行ったとする伝承があり、クエストに反映されている。 :武田信虎(たけだ のぶとら)|1494-1574 甲斐の大名。[[武田信玄]]の父。~ 武田宗家の統一、続いて甲斐統一を果たす。~ 1541年 子の晴信により甲斐から追放される。その後は主に駿河や京で過ごした。 :徐福(じょふく)|中国の秦の時代(紀元前3世紀頃)の方士。~ 始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、東方に船出したとされる。 **情報募集中 [#t23c837a] #pcomment(reply)