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【[[独眼竜の野望]]】 *真田信幸 [#z82c7b18] **レベル:数 [#l74bdb98] 72:5~ 銀枠 **戦闘開始時セリフ [#p3f57c5e] 私とて真田の士。 とうに命は捨てています。 覚悟! **構成 [#b2518cb7] |>|>|CENTER:|||c |~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技| |真田信幸|二刀侍|72|&color(orange){▲};&color(blue){▲};|[[六文銭の秘剣]]、[[八箇必勝]]、[[一所懸命・極]]、[[全体看破・弐]]、[[霧散]]、[[沈黙の霧・壱]]、守護術、一刀流| |草ノ者・黒鉄|一刀忍者|67|&color(red){▲};|[[刹那一閃]]、[[瞬殺閃]]、[[暗殺乱舞]]、[[三>三連撃]]〜[[五連撃]]、[[神力両断・改]]、[[結界破り・改]]、各種遁術・極、[[朧の術]]、[[手裏剣乱射]]、[[全体看破]]、鎧通し| |草ノ者・白鋼|懐剣二刀忍者|67|&color(red){▲};|~| |藤右衛門|薙刀侍|67|&color(orange){▲};|[[八箇必勝]]、[[三>三連撃・改]]〜[[五連撃・改]]、[[一所懸命・極]]、[[地勢看破]]、[[全体看破]]〜[[弐>全体看破・弐]]、[[崩落の計]]、守護術| |矢沢頼康|棍棒僧|67|&color(gray){▲};|''[[完全回復]]''、''[[全体完全回復]]''、''[[大日如来秘法]]''、[[戦勝の理]]、[[諸法無我]]、[[僧兵連撃・改]]、[[双界法句]]、[[気合撃・四]]、[[回復・四]]、[[全体回復・四]]、[[仏の加護・参]]、[[全体解呪・弐]]| **生息地域 [#nb2502b6] -[[小田原の陣]] **備考 [#x4cc658e] -六文銭の秘剣による気合削りが非常に強力。そこに忍者2名の攻撃が来ると非常に危険なので、釣り分けはしっかりとしたい。 **ドロップアイテム [#w51976b1] -[[信幸討取の証>討取の証]] **列伝 [#e9b070c5] :真田信幸(さなだ のぶゆき)|1566-1658 [[真田信之]]。[[真田昌幸]]の長男。母は宇多頼忠の娘。[[幸村>真田幸村]]の兄。正室は[[本多忠勝]]の娘・小松姫(幼名[[稲姫]])。~ 幼少時代は[[武田家]]の人質として過ごす。元服後は[[武田勝頼]]の嫡男・[[武田信勝>武田勝頼]]から一字賜り、信幸と名乗った。~ 武田滅亡後は父と共に[[北条氏>北条家]]や[[徳川氏>徳川家]]との戦いで功を上げる。~ [[小田原の陣]]では[[上野]]松井田城攻めで戦功をあげ、戦後、沼田城主となる。~ [[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]では父と弟が西軍に付いたのに対し、信幸は東軍に参加。戦後、昌幸らの助命を嘆願し、父との決別を表すために、名を信幸から信之に改めている。~ その後は[[信濃]]松代藩初代藩主として基盤を固め、93歳で死去した。 :藤右衛門|生没年不詳 宮下藤右衛門。真田信之の家老。~ 大坂の陣の際に、信之が[[幸村>真田幸村]]に内通しているとの訴えがあり、この責任を一身にかぶって浪人した。 :矢沢頼康(やざわ よりやす)|1553-1620 真田家臣。[[矢沢頼綱]]の嫡男。[[真田昌幸]]の従兄弟にあたる。~ 1585年、[[真田幸村]]が[[上杉景勝]]の元へ人質に出される際には、警護として随伴。第一次上田合戦では、[[上杉氏>上杉家]]からの援軍と共に[[依田勢>依田信蕃]]や[[大久保忠世]]らを破る。~ 関ヶ原の戦い後は信之に仕え、子孫は代々松代藩家老職として真田氏を支えた。 **その他情報 [#s28a0951] -[[真田信之]]かと思われます -- &new{2011-04-30 (土) 22:00:58}; -上記列伝にもあるように改名後に信之なので小田原の陣では信幸で正解です。 -- &new{2011-04-30 (土) 22:59:46}; -本編(普通の合戦)では信之なのは肥のミスなのか有名な方を取ったのか、、、 -- &new{2011-04-30 (土) 23:11:24}; #comment