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[[相模武将一覧]] *&ruby(ホウジョウ ウジシゲ){北条氏繁}; [#rd3252db] **レベル:数 [#b548bc2a] 75:7 **職業 [#vd1a34e4] 侍 **合戦配置 [#f91400ae] 後詰 **戦闘開始時セリフ [#m9159876] #ref(氏繁開始1.jpg); ~ #ref(氏繁開始2.jpg); ~ #ref(氏繁開始3.jpg); ~ #ref(氏繁開始4.jpg); ~ 見慣れぬ装いだな。合戦で 目立つとは、よほど 自信があるのか? ○○○。 **構成 [#ube83876] |>|>|CENTER:|||c |~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技| |北条氏繁|二刀侍|60||[[地黄八幡の護]]、[[天地二段・改]]、[[一所懸命・極]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[蘇生の秘薬]]、気合削り、守護術| |北条氏繁|二刀侍|60||[[地黄八幡の護]]、[[天地二段・改]]、[[一所懸命・極]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[蘇生の秘薬]]、気合削り、守護術、反撃回避| |乱波中忍|懐剣二刀忍者|55||| |早雲寺高僧|薙刀僧|55|反射結界|[[完全回復]]| |伊豆衆精鋭|懐剣陰陽|55|結界|| |箱根山神官|剣巫女|55||[[詠唱の韻・極]]| |相模鍛冶|鉄砲鍛冶|55||守護術| |箱根山山伏|錫杖薬師|55|再生|| **備考 [#aacb7ae8] -撃破すると対応する四天王・後詰武将を弱体 -対応する後詰副将・後詰武将撃破で弱体 **特徴 [#re793e2d] -[[地黄八幡の護]]:[[レベル2]]の全体攻撃付与+全体解呪+速効活力+全体救護 **ドロップアイテム [#yddd545d] -[[小地黄の太刀]] -[[地黄八幡本旗印]] **列伝 [#ne7c800c] [[北条綱成]]の第一子。善九郎。左衛門佐、常陸守。康成。1536年生まれ。~ ~ 元服時は[[北条氏康]]から一字拝し、康成と名乗る。父と同様に武勇に優れていたとされ、1551年の[[上野]]平井城攻めでは尊勝陀羅尼の母衣着を着、鉄棒をふるってなぎ倒したと伝わる。羽生城攻略戦、第二次国府台合戦、関宿城攻略戦等数多くの戦に参戦、戦功を挙げる。~ ~ 1562年、[[上杉家]]が[[小田原]]に進攻すると、その抑えとして有吉城に入城する。また、父が城主を務める玉縄城の城代にも任ぜられている。また同時に鎌倉一帯の守備の責任者ともなっている。のちに玉縄城主と飯沼城主を兼任する。~ 1567年に[[武蔵]]岩槻城主である[[太田氏資]]が死亡、その遺領の差配を担当する。~ 1569年の[[武田氏>武田家]]進攻の折は玉縄城に籠城、これを守り抜く~ 1571年に氏康が没すると名を氏繁と改め、新たなる主君[[氏政>北条氏政]]の信頼も厚く、さらに重役をまかされることになる。~ 1577年には対[[佐竹>佐竹義重]]への備えとその領地である常陸への進攻準備も兼ねて、逆井城(飯沼城)に入城、同城の大規模な修築工事を行う。~ ~ このように氏康、氏政からの信頼も厚く、さまざまな重役をまかされていた氏繁であったが、城主を二つ兼任してさらに鎌倉守備を任され、その後常陸進攻の準備に追われるなど、非常に多忙であったのであろう。~ そのためか1578年に病に倒れそのまま同年6月に死亡。父に先立つ43歳の若さであった。~ なお、その後の家督(玉縄北条氏、綱成の家)は彼の子・[[氏勝>北条氏勝]]にわたったとされるが、近年その兄と思われる北条氏舜の存在が現れ、実際には不明となっている。~ ~ 彼は教養も兼ね備えていたとされ、特に絵は巧みであり、松の古木に止まる鷹の絵画が現存している。文武を兼ね備えた彼の早世は[[北条家]]にとっては大きな痛手であったことは想像に難くない。~ ~ **その他情報 [#iedd7bde] #comment IP:122.255.216.58 TIME:"2020-04-05 (日) 03:59:40" REFERER:"http://wiki.ohmynobu.net/nol/index.php" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) CriOS/80.0.3987.95 Mobile/15E148 Safari/604.1"