朝になって、天翔のアカウントのところに、新規作成とやっとでたので、まあ、そだてないまでも、(断片の枚数に関係して来るので)作っておこうと、四つ子を5つ子にするべく、忍者を作りました。
今度は、りおんのときのように、魅力や、耐久、知力に振らずに、腕力と、器用(これは、りおんでほんとに、泣かされたので)に振りました。
わたしは、いつもキャラを作ると、かならずれべる5とか6までは、そのキャラだけで戦闘します。
何故かと言うと、これから先長い間ずっと好きで居れるかどうか解らないからです。
大体レベル3くらいまでに、雰囲気や、声、姿形で自分なりに、イメージとどれくらい離れているかを、観察します。
だからそれを、Plやってしまったら、強い方がやっつけてしまうので、解らないのでやりません。
さすがに、腕力10にすると、その前が天翔で、神主だったので、手応えが違いますね。れべる6くらいまでは、初期装備が最強だそうで、あまり、つけかえたりもしないで、どんどんやってみました。
Plのいいところは、気楽に自分で時間も縛らずに、どんどん、育てて行けて、おまけに、経験をどっと取ってあげるので、修得だけが進む事になります。
でも、そうやっていると、誰とも余り話さないし、新しく友だちになると言う事がなくなりますね。
仲の良い人とPl徒党を組んだりして、ますます、修得にはいいですが、世界が狭くなるのは事実です。
でも、だいぶ前に、Plだけども、自分の育てているキャラと同じくらいの人をいれて、やってるひともいたし、わたしの友だちもそうでした。
間口を解放するという点では、そういうのは、いいですよね。
このごろ新しい人が増えて来て、相棒とPlしていたら誘われましたが、その時の状況に寄っては、わたしは、やっても良いカナとも思います。
それなら、どっちも得するし、お互いの利害が一致して、Plと普通の人をつなぐかけはしになるかもしれないと、今はそう思ったりもします。
ただ、7人ととうの修得も、黙々と何も話しないでやってるくらいなら、それに組み込まれたら、大変すぎますよね。
対話があるから気分転換にもなるし、元気にもなるけど、たしか、一番最近の徒党はほとんど話もしないで、反応も無かったのでそれで、自分でやるようになってしまったのかも知れません。
多分初心者のひとがほとんどで、堅い感じだったのでしょうが、誰かが辞めて、さよならしたときも、わたしの知っているさよならは「またね」で締めくくられるのに、「お疲れ様でした。」だけだったので、マクロおんりーでしょうか。
ちょっと寂しい感じしましたね。
桂木の一家が、友だちが物凄く多いのも、徒党してきたからであり、そこから、発展して来たものだと言う事は忘れないようにしつつ、時間も限られるので、そこのところ、上手にやりたいと思います。
ある友だちとは、修得しようと各々2人だしましたが、50の陰陽で、物凄く強いのに、25くらいの瀕死の相手に、業火四とかくりだすので、大笑い出来て、ものすごく短い時間でしたが、修得も余り必死にやり過ぎない事だなとか、感じました。
とにかく、毒蛇の修得を7人でやっても、どんどん切れ間ないし、つかれてしまいますよね。
たのしいが、いちばんなので、各々に一番あった、やりかたで、楽しむのが良いかと。
7人徒党は友だちが増える。そう言うメリットはあるし、どんどんエンドレスでたたかうので、修得もいい。
ただ、疲れる。
そのへんですね、分かれ道は。
忍者の天牙は、美都で活身いれて、やりはじめましたが、たまに一人でもやってみたいと思います。レベル2で、コウモリ3とやってた時超音波で痺れて死にましたが、その後は四で、コウモリ四の2体とやって、なんとか勝てるし、忍者なので、冒険をさせたいなと思います。
りおん以来の忍者なので、すごくうれしいです。