侍
後北条家の祖・北条早雲の孫にあたり後北条家の三代目当主。
上杉謙信、武田信玄などと互角に渡り合った名将で、特に政治能力に優れていた。 祖父・早雲が築き、父・氏綱が地盤を整えた後北条家は三代目氏康によって完成する。 検地・貨幣整備・伝馬制(公用で使う馬の調達制度)や水運の整備などを行う。
度重なる戦で攻められる事となった居城・小田原城を改修し、難攻不落の名城に築き上げた。 北条家は家訓に民をいたわる様にというような事があり、税金が安く四公六民(四割を国が、六割を民が)という税金高であった。 しかも米のまま納められるのではなく、農民達が納めた米が税金として届くときには貨幣となって届くシステムが成立させていた。
戦場にあっては「氏康の向疵(むこうきず)」と呼ばれ、 生涯を通し三十六回に及ぶ合戦で一度も敵に背を向けず受けた傷は全て身体の前側、 すなわち、「向疵」であったと言われている。
そして極めつけは、八万にも昇る軍勢で北条綱成の篭る川越城を包囲した山内上杉家連合の軍勢を、わずか十分の一の八千の軍勢で夜襲をかけ撃退するという離れ業。 後に「川越夜戦」と呼ばれるこの合戦で北条氏康はその武名を世に知らしめることとなった。