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ひげ一家の生活から人生の素晴らしさを知ってもらおうと書いていますひげひげ人生劇場。今日は父親についてのお話です。
徳川家と今川家の間では遠江の利権を賭けて合戦が繰り返されています。岡崎の町にもモノモノしい格好をした者が増え、町全体からは活気が消えて代わりに一種ただならぬ雰囲気が立ち込めるようになったある日。悪ひげは自分の直属の上司である頭領に呼ばれました。
普段は厳しさの裏にたくさんの優しさを秘めている頭領。しかしそんな頭領の顔が今日はどことなく悲しげなのです。
悪ひげ『悪ひげ参上致しました。』
頭領『うむ、ご苦労。。。』
いつもと様子が違う頭領に悪ひげも場の空気を読み取り、背筋が伸びる思いでした。
頭領『呼んだのは他でもない。実は御館様より忍寮に命が下ってな。。。今川との合戦を有利にする為、現在任務中の忍以外は駿河に潜入し工作活動をせよ!とのお言葉なのだ』
今川との合戦がそこまで切迫しているとは。。。悪ひげにとっては対岸の火事に思えていた出来事も、今や目の前の出来事になったのです。
頭領『ついては悪ひげ、お主にも城下内偵の任務を与える。駿府城下に潜入し町民から今川家についてのありとあらゆる情報を聞きだしてくるのだ』
悪ひげ『。。。かしこまりました。謹んでその任、お受けいたします』
悪ひげにとって初の任務。それがいきなり敵国の城下に潜入とは。。。それだけこの合戦が熾烈を極めているからなのだろう。
頭領『。。。任務にあたってワシからお主に授けておくものがある。。。』
そういうと頭領は小さな包を取り出しました。
悪ひげ『これは。。。?』
頭領『毒だ。。。』
驚く悪ひげ。しかし頭領は平然と話を進めます。
頭領『任務に失敗し敵の手に捕われるようなことがあれば、これを飲み自害するがよい。。。』
恐る恐る頭領から毒の入った包を受け取る悪ひげ。ふとその時、頭領の手がひどく荒れているのに気づきました。
そうか、この毒は頭領が自分で作ったモノなのだ。。。共に笑い共に泣き、時に厳しく時に優しく。父親がいない悪ひげにとって頭領は父親のような存在でした。面倒見が良く、部下からは慕われていた頭領。そんな頭領が自らの部下に毒を渡さなくてはならない。。。その心中を察すると胸が痛くなる悪ひげでした。
準備を整え忍寮を出ようとした時、頭領が見送りに来てくれました。
頭領『悪ひげ。。。帰ってくるのだぞ!』
決して表情を崩さない頭領でしたが、その瞳の奥には計り知れない悲しみを秘めているのが悪ひげには見て取れました。周りの忍者兵や中忍、下忍も皆同じように暗い表情をしています。中には赤く目を腫らしたものや、強く握りこぶしを作って耐えているものもいました。。。その時、初めて悪ひげは感じました。これが戦なんだと。。。
遠江からは険しい山を越え、抜け道を通り駿河に入国。入国すると駿府はもう目と鼻の先でした。休みもとらずひたすら駿府に向かいます。
さすがに合戦中なので駿府の門には厳重な警戒体制が敷かれていました。悪ひげは準備していた服で町人に変装します。怪しまれるといけないので懐剣を胸に忍ばせて残りの荷物は草むらに隠しておきます。
何とか変装していたことは見つからず、人の流れにのって駿府に潜入することに成功します。さっそく情報収集を開始する悪ひげ 駿府の町も岡崎と同じく荒々しい雰囲気でしたが、町人たちはそのような境遇の中でもたくましく生活していました。
悪ひげは思いました。合戦を行うのは武士同士。町人には何の関わりもないことなのに。。。岡崎にいる町人も駿府にいる町人も何ら変りはない。ただ一生懸命生きているだけなのだ。
その時、背後から声がしました。
『そこの者!ちょっと待て!!』
悪ひげが振り返ると、そこには今川の紋が付いている鎧を着た警護兵がいました。
警護『お前見かけない顔だな。。。最近は徳川の手の者が城下にまで入り込んでいると聞く。我々と共にきてもらおうか』
悪ひげの脳裏に頭領の言葉が浮かびます。
『任務に失敗し敵の手に捕われるようなことがあれば、これを飲み自害するがよい。。。』
とっさに逃げ出す悪ひげ。警護が後を追いかけます。今までの静寂が嘘のように、悲鳴や怒声が沸き起こります。
何とか警護を撒き、人目の離れた場所まで逃げ延びた悪ひげ。しかしあちこちで警護兵が動き回っているのが分かります。その場にしゃがみ込む悪ひげ。頭領からもたっら毒の包を手に出してみます。すると頭の中に青ひげじいさんの顔が浮かびました。。。イヤだ!私はまだ死にたくない!!
警護『いたぞー!!』
足音が地鳴りのように迫ってきます。気力を振り絞って逃げる悪ひげ。そして一軒の民家へ駆け込みます。
どうやらそこは道場のようでした。精も根も使い果たしその場に倒れこむと、道場の中から一人の武芸者が出てきました。その武芸者は悪ひげをじろりと一瞥します。悪ひげはとっさに胸に隠していた懐剣を取り出し身構えます。しかしフラフラで懐剣を握る手にも力が入りません。
二人の間に沈黙が続きました。。。
遠くから警護が大声で指示を飛ばしあいながら近づいてきます。どうやら一軒一軒、家捜しをしているようです。警護が隣の家まで来ると武芸者がおもむろに口を開きました。
武芸者『中に入っていろ』
そういうと道場の扉を指差す武芸者。言われるままに悪ひげは道場の中に転がり込みます。道場の中は静まりかえっていました。どうやら誰もいない様子です。扉に寄りかかって息を整えていると外が騒がしくなってきました。
警護『ここら辺に徳川の間者と思わしき者が潜んでいる!よって中を調べさせてもらうぞ!』
武芸者『徳川の間者だと!?そんな者はここには来ておらん!』
警護『いるかいないかは私達が判断する!そこをどいてもらおう!!』
武芸者『誰の許可でワシの道場を踏み荒らす気か!』
警護『ええい、構わぬこやつをどかせ!』
ドカッ! バキッ!誰かが倒れた音がします。武芸者を立ち退かせようとした警護が武芸者に叩きのめされたようです。
武芸者『ワシは今川家客人、武田信虎であるぞ!これ以上無用な詮索をしたいのであれば義元公直々に許可をもらってこい!』
武田信虎。。。その名前は悪ひげも聞いたことがありました。現甲斐国主・武田信玄の父親であり、息子に国主の座を奪われ甲斐を追放された男。。。
武田信虎という名前に怖気ついたのか、それとも信虎の気迫に負けたのか、警護達はすごすごと立ち去って行きました。そのやり取りからしばらく経つと信虎が道場の中に入って来ました。
信虎はまたも悪ひげを一瞥します。
悪ひげ『あ、あの助けて下さってありがとうございます。。。』
信虎はフン!といった感じで悪ひげを見下ろしています。
信虎『貴様、徳川の手の者か?』
信虎の声には重量感がありました。
悪ひげ『いえ。。。。いや、はいそうです』
信虎の声に圧倒され嘘をつくこともできませんでした。
信虎『。。。貴様のような年端も行かぬ女子までこのようなことをさせられているとはな。。。』
信虎はどこか悲しそうでした。すると今まで誰もいなかったと思っていた道場の奥から足音が聞こえてきました。ハッとする悪ひげ。しかしやってきたのは老人と巫女、そして尼さんでした。
信虎『安心しろ。こやつらは越前から逃れてきた武芸者の連れでな。泊まるとこがないからといって転がりこんできたのだ』
そういうと信虎は老人に飲み水を持ってくるように指示します。その間、巫女と尼が悪ひげを抱え起こし、介抱してくれました。
老人が持ってきてくれた水を飲むと悪ひげは信虎に誘われて道場の縁側に腰掛けました。
信虎『貴様はなぜにくの一なんぞをやっておるのだ?父は何をしておる?』
悪ひげ『。。。私の父上は、大井川の合戦で戦死しちゃったんです。それで私、父上の友人だった忍びの方に預けられて。。。』
信虎『そうか。。。それは悪いことを聞いてしまったな。。。すまぬ』
二人の間に沈黙が続きました。。。
悪ひげ『あ、あの。。。なんで助けてくれたんですか?』
悪ひげの問に信虎は遠くを見つめます。
信虎『ワシがまだ甲斐におった頃、一族の者に囲まれて全てが上手くいっていた頃。ワシにも貴様にそっくりな孫娘がおってな。貴様の顔を見たら思い出してしまった。。。ただそれだけのことだ』
二人の間に沈黙が続きました。。。
悪ひげ『甲斐には戻れないんですか?』
信虎『もはや何も望むことはない。ただ一つだけ望むとすれば今一度、甲斐の地を踏みたい。。。それだけじゃ』
信虎は一際淋しそうな表情を浮かべています。悪ひげはその信虎の横顔が、失った息子の話をする時の青ひげじいさんの顔そっくりに見えました。
信虎『さてそろそろ行ったほうがよい。いつまた警護達がやってくるとも限らんからな』
そう言って立ち上がると、信虎は道場の裏を指し示しました。
信虎『ここを通っていけば裏門に出れる。そこからなら貴様のような華奢な体つきのものなら難なく外に出られよう』
悪ひげは信虎に頭を下げます。
悪ひげ『色々とありがとうございました』
信虎『フン!礼など良い。それよりも二度と敵城に忍び込むようなことはやめるのだな。次は助けてやらんからな』
信虎の言う道を抜けると無事に城外へ出ることができました。
そして岡崎まで帰ってくることができた悪ひげ。忍寮につくやいなや、頭領を始め同僚達に抱きしめられるのでした。。。
それから数日後。。。
駿河に悪ひげの姿がありました。また駿府に忍び込む為です。前に信虎に教わった道から潜入する悪ひげ。道を抜けると信虎の道場に行き当たりました。
するといきなり後ろから何者かに捕まれて、道場の中に放り込まれます。
したたかに腰を打った悪ひげがさすりながら起きると目の前に、怒りの表情に満ちた信虎が立っていました。
信虎『馬鹿者が!!ニ度と来るなと言ったろう!!』
信虎の怒りは凄まじく、悪ひげは縮こまってしまいます。
信虎『せっかく助けてやった命を、粗末にしおって!!』
信虎は怒りでワナワナ震えております。ようやく悪ひげが口を開きます。
悪ひげ『ごめんなさい信虎さん。。。でも聞いてください!』
信虎はギロリと悪ひげを睨みつけます。
悪ひげ『あの、今日は信虎さんに会いにきたんです』
呆気にとられる信虎。
悪ひげ『私にはじいじがいるんです。それでそのじいじが岡崎にくるといつも味噌煮込みうどんを食べるんです』
要領を得ないといった様子の信虎。しかし悪ひげは話を進めます。
悪ひげ『なんで味噌煮込みうどんかっていうと、じいじの息子。。。あっ!私の父上ですけど。。。その父上が幼い頃に、よく岡崎で二人で並んで食べていたそうなんです。味噌煮込みうどんを。』
ただ聞き呆れている信虎。
悪ひげ『だからじいじにとって岡崎の味噌煮込みうどんは父上の味なんだそうです。』
信虎『。。。それでその味噌煮込みうどんとワシに会いに来たというのと何の関係がある?』
悪ひげ『この前、信虎さんとお話した時に信虎さんとじいじがかぶって見えたんです。じいじは父上を奪った合戦をひどく嫌ってます。信虎さんも同じだと思うんです』
信虎は頷きます。
悪ひげ『じいじはいつでも好きな時に父上との思い出がたくさんつまった岡崎に来れます。でも信虎さんは帰りたくても甲斐には帰れない。。。じいじのように思い出の味噌煮込みうどんが食べれない。。。そこで私、考えたんです』
そう言うと悪ひげは巾着袋から包を出しました。
悪ひげ『これを信虎さんへ渡しにきたんです』
信虎は悪ひげから包を受け取り開いてみます。
悪ひげ『甲府名物の山菜おむすびです。信虎さんに食べてもらおうと思いまして』
山菜おむすびを持つ信虎の手が震えます。
信虎『こ、これは。。。貴様が甲府で買ってきたのか。。。?』
悪ひげは頷きます。
信虎『。。。ワシの故郷の甲府か?』
悪ひげは頷きます。
信虎『本当に。。。本当に。。。甲府の山菜おむすびなのだな?』
悪ひげは頷きます。
信虎の目から涙が溢れ、頬を伝います。。。
信虎『。。。食べても。。。食べてもよいのか?』
悪ひげは頷きます。
信虎は山菜おむすびを少しだけつまんで口に運びます。そして確かめるように何度も何度も噛みます。
信虎『国を追われ早数年。。。思い出は徐々に薄れていくが、この味!この山菜おむすびの味を忘れたことがあろうか!。。。間違いない、これは甲斐の味だ。。。』
信虎は泣きながら山菜おむすびを夢中で食べます。
信虎『ウマイ。。。ウマイ。。。こんなにウマイものは久ぶりじゃ!。。。まるであの甲斐の景色が蘇ってくるようだ』
信虎は休まずに一気に山菜おむすびを平らげました。一粒残らず食べたのです。そして鼻を啜り、涙を拭き一息入れます。
信虎『。。。甲府の町は賑わっておるのか?』
悪ひげ『はい、甲府ほど賑わってる町を私は見たことがないです』
信虎『そうか。。。そうか。。。』
信虎は頷きます
信虎『もはや誰も恨まぬ。この乱れた世を恨むのだ。晴信や信繁がおる限り、武田の家が滅ぶことはあるまい。。。』
悪ひげにはその信虎の姿がやはり青ひげじいさんとかぶります。今度青ひげじいさんに味噌煮込みうどんを持って会いに行こうと思う悪ひげでした。
駿府の街には春の優しさに後押しされて桜が満開に咲き誇っているのでした。
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