勢力

北条三つ鱗.gif北条家

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初期領有国

相模武蔵(属国)

現在の所属武将

陣取戦

※味方後陣・中陣・先陣の大将は所有国によって変わります。

本陣総大将北条氏康ほうじょう うじやすLv70
軍師北条幻庵ほうじょう げんあんLv68
四天王北条氏政ほうじょう うじまさLv65
北条氏照ほうじょう うじてるLv65
北条氏規ほうじょう うじのり薬師Lv65
北条氏邦ほうじょう うじくにLv65
NPC相模高僧さがみこうそうLv62
五色備え・白ごしきぞなえ・しろ巫女Lv60
北条足軽大将ほうじょうあしがるたいしょうLv50
小荷駄大将大道寺政繁だいどうじ まさしげ神主Lv60
売店北条家小荷駄ほうじょうけこにだLv46
NPC北条守備兵ほうじょうしゅびへいLv58
門番北条門番精鋭ほうじょうもんばんせいえいLv65
後陣副将副将ふくしょうLv55
NPC五色備え・赤ごしきぞなえ・あかLv54
丹党たんのとう陰陽Lv55
北条足軽組頭ほうじょうあしがるくみがしらLv43
中陣副将副将ふくしょうLv50
NPC津久井衆つくいしゅう巫女Lv49
野与党のよとう鍛冶Lv48
相模野武士さがみのぶしLv36
先陣NPC猪俣党いのまたとう鍛冶Lv48
相模補給隊さがみほきゅうたい薬師Lv47
北条足軽ほうじょうあしがるLv34
敵先陣大将守将しゅしょうLv50
NPC北条槍隊ほうじょうやりたいLv48
風魔くノ一ふうまくのいち忍者Lv47
敵中陣大将守将しゅしょうLv55
NPC御馬廻衆おうままわりしゅうLv49
乱波らっぱ忍者Lv48
敵後陣大将守将?しゅしょうLv55
NPC松山衆まつやましゅう薬師Lv49
五色備え・黒ごしきぞなえ・くろ忍者Lv48

その他

城代じょうだいLv51
城将じゃうしょうLv48〜50
風魔党精鋭ふうまとうせいえい忍者Lv50
護衛兵ごえいへいLv42
忍者兵にんじゃへい忍者Lv36
城・街警護けいごLv36
旗本はたもとLv42
城・街門衛もんえいLv36
フィールド関所兵せきしょへいLv45
伺見うかみ忍者Lv18
屯所兵隊長とんしょへいたいちょうLv42
屯所兵とんしょへいLv36
新米屯所兵しんまいとんしょへいLv18
相模国内風魔党ふうまとう忍者Lv40
武蔵国内風魔忍者ふうまにんじゃ忍者Lv35

争覇以前の情報

北条五代記(歴史)

北条家は伊勢宗瑞を祖とする戦国時代初期に現れた新興勢力である。
そのため鎌倉幕府の執権を務めた北条家とは縁はないとされる。なお家紋の三つ鱗は鎌倉執権家の家紋であり、北条に改めたときに流用したものである。

伊勢宗瑞はもともと浪人であり、その出自は諸説あるものの不明といって良い。有力なのは伊勢の浪人説であるが、確証はまったくといっていいほど無い。
始め今川家に仕えて今川家の内部抗争を抑えるなど功を上げ頭角を現した。その後伊豆足利家の内紛に乗じて伊豆に侵攻、瞬く間に支配する。ただしこのときもあくまで形式は今川家の配下である。
しかしながら徐々に勢力を拡大、伊勢宗瑞の治世の終わりごろにはほぼ完全な独立の状態になる。このときすでに伊豆と相模を領有している。

二代・氏綱の代に北条を名乗り始める。戦国自体というのは無秩序に戦が行われていたわけではなく、戦をおこなったり土地を治めたりするには大義名分が不可欠であった。それがこじつけであろうと有名無実であろうと、である。北条となのったのもこの大義名分を手に入れるためというのが強い。なお、北条早雲の名前はこのころに作られたもので、伊勢宗瑞本人が北条を名乗ったことは無い。
自身を鎌倉幕府執権家であった北条家の子孫であるとして、相模など関八州を治めるという大義名分を立てたのである。また、彼の代に北条家は本拠を韮山から小田原に移す。
さらには扇谷上杉家の居城の江戸城、里見氏の国府台を攻略するなど、武蔵、下総などに着々と版図を広げていった。

三代・氏康の代には関東の重鎮であった上杉家(扇谷上杉家、山内上杉家の両家)と古河公方の足利家を川越夜戦をはじめとする戦で勝利し、さらには川越城に攻撃をかけた扇谷上杉家を撃退して滅亡させた上、山内上杉家にも圧力をかける。
これに屈した山内上杉家当主上杉憲政越後に逃走、長尾家当主長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲ることとなる。

彼の代には、かつて主君であった今川家と一時対立するも和睦し、甲斐の名門・武田家との婚姻を成立させ、駿三国同盟が成立する。そのため北条家は主に上野、房総などを平定していくことになる。
今ゲームの最初はおおよそこのころである。
なお、この後今川家の没落とそれにともなう武田家今川侵攻でこの同盟は崩壊することとなり、一時期武田家とは敵対、上杉家と同盟を結ぶ。

四代・氏政の代になっても着々と版図を拡大する。なお、彼の代になったときに父の遺言どおり武田家との同盟を回復(上杉家とは破棄)するも、その直後に起こった上杉家のお家騒動で自身の弟・景虎を支援する氏政景勝支持の武田勝頼との関係上、関係が悪化、ついには対峙するまでになる。
なお、彼の花押は武田に似たものであったが、このころから父祖に似たものに変えており、反武田の意思をあらわにする。このころ同時に信長にも接近する。

五代・氏直の代になっても氏政は隠居として実権を握っていた。彼が家督をついでまもなく信長が本能寺で死去、これに乗じて織田家の領地に攻め入っている。
彼の代になってもいまだ領地は増え続けていたのである。
しかし、その後中央では豊臣家の世となる。これには最後まで反抗、1590年の小田原征討北条家は滅亡する。

一介の浪人から関東の覇者まで上り詰めた、まさに戦国時代を象徴する家であった。

その他情報